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2006年8月11日 (金)

事故と鰻と缶ビール PART 2

  PART 1 はこちら

手帳を見直した警察官は、となりにいた若い警官に懐中電灯を渡すと、こちらに向き直りました。

「ちょっと詳しく聞かせてください、それから免許証はありますか」
何だか話が変な方向に進みそうなので、先手を打って言いました
「一時間前に、店に来ていたお客さんなんですよ。斉藤さんです」「名前も知っているんですか。 よく来るお客さんなんですか?」「いや、今日初めて来られたお客さんです」
「初めてなのに、名前を知っているということですね」
警官は、ますます不審そうな顔をしました。

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一時間ほど前の事でした。
そのお客さんは一人で店に入ってきました。
アルバイトの阿部君が食事で裏に下がっていたので、僕はホールに出ていました。
在席は3組で、常連のお客ばかり。
追加のオーダーも入らず、まったりとした時間でした。
僕は次週のスケジュールを見ながら、調整が必要な日曜日の応援を誰に頼もうかと思案していました。
その時、一人のお客さんが入ってきました。
あごにひげを生やし、作務衣を着て、傍らにバッグを抱えていました。
ひげはよく手入れされており、印象的でした。
そのおかげで僕は斉藤さんのことを思い出すことができたのです。
斉藤さんは席に座ると生ビールとフライドポテトを注文し、雑誌を読み始めました。
一時間ほどして、彼はレジに近づくと僕に言いました。
「実は待ち合わせをしていたんだけど、まだ来ないんだ。この後もし僕を訪ねてくる人がいたら、これを渡してほしい」
そう言って名詞を差し出しました。
名詞には、〝鰻割烹 松○屋 代表取締役 斉藤憲治〟と書いてあり、浅草に店があるようでした。
裏には手書きで携帯の番号が書かれてありました。
「うなぎ屋さんですか、僕大好きなんですよ」
僕がそう言うと彼は嬉しそうに、もう一枚僕のために名詞を出すと、そちらにも携帯番号を書き込み渡してくれました。
「浅草に来ることがあったら、訪ねてきてよ。とっておきの天然鰻をごちそうするよ」
彼は、そのかわり必ずこの名詞を渡してほしいと頼むと店を出て行きました。
その後、相手の名前を聞き忘れたことを思い出しました。
しかし、〝浅草の鰻屋の斉藤さん〟を訪ねてくる人が二人いるとは思えないので、大丈夫だろうと思いました。

僕は警察官に名刺を見せて事情を説明し、その後斉藤さんを訪ねてくる人はいなかったことを伝えました。
警察官は僕に免許証を見せてほしいと言い、自宅の電話番号、出勤時間とこの後の退勤時間の予定をたずねました。
「後で、担当から連絡があるかも知れません。名詞は預かっていってもいいですか?」
僕が承諾すると、やっと解放してくれました。

店に戻ると僕はふと思いました。
警察は斉藤さんの家に、すぐに連絡をしてくれるのだろうか?
名詞には、自宅の番号も書かれてありました。
僕は受話器を手に取りました。
5回ほどのコールで相手がでました。
「はい、斉藤です」
早朝にもかかわらず起きていたようでした。
「私、レストラン○○○、N店の副店長の佐野と申しますが、夜分遅く申し訳ありません」
そう言ってから気づきましたが、すでに夜は明け始めていました。
「実は店の前で交通事故がありまして、お宅の御主人がケガをされて病院に運ばれました」
電話に出た、おそらく奥さんと思われる人は、しばらく黙っていましたが意外に落ち着いた声を返しました。
「どこの病院に運ばれたんでしょうか?」
「N市中央病院です」
「ご連絡ありがとうございます。あのー」
奥さんはそこで口ごもりました。
「ケガはひどいんでしょうか?」
僕は、どう説明しようかと思いました。
あの時のようすでは、おそらく心臓は既に止まっていたんではないかと思いました。
でもそれを、正直に奥さんに言うことはできませんでした。
「あまり、軽いケガではなかったようです」
それだけ伝えると、電話を切りました。

後日、僕は警察に呼ばれました。
家族によると斉藤さんには、N市に来る用事が思い当たらず、誰と待ち合わせていたのかも全く分からないそうでした。
そこで、最後に斉藤さんと話をした僕が警察に事情を詳しく話すように依頼されたのです。
といっても、特に何か覚えているわけでもないので、その日あったことで思い出せる限りのことを担当の刑事さんに話しました。
刑事さんは僕の話をまとめながら、手書きで調書を作っていきました。
そのため話はなかなか進まず、かなりの時間を要してしまいました。
話が終わると刑事さんは、できあがった調書の全文を僕の前で読み上げました。
そして、これで間違いがなければ署名してほしいと言いました。
2時間ほどかかった事情聴取のお礼は、警察の特殊車両が写ったテレフォンカードでした。

更に一ヶ月後、斉藤さんの奥さんが僕を訪ねてきました。
事故の時のお礼を是非させてほしいということでした。
「事故の際は、本当にありがとうございました、残念ながら主人は逝ってしまいましたが、代わりに私がお礼をさせていただきます」
奥さんは深々と頭を下げました。
「いや、僕は何もしてないですよ、たまたまそこにいただけで・・・」
それから奥さんは、言いました。
「主人が、座っていたのはどの席でしょうか」

奥さんは、あの日斉藤さんが座っていた席に座り、紅茶を注文されました。
小一時間後、奥さんはお店の方で食べてくださいと芋ようかんを置いていかれました。

その日、僕は仕事を終えて自分の車で店の駐車場を出ました。
すると、あの日斉藤さんが倒れていたあたりのガードレール脇に、花と缶ビールがそっと置いてありました。

斉藤さんの鰻、食べたかったなあ。
この季節になると今でも、時々思い出します。

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コメント

こんにちは。じーんとするお話ですね。
店の前で事故にあわれて、取り乱さずにテキパキと的確な対処が出来るところがすごいですね。
鰻屋の紳士なご主人、悲しみでそれどころじゃないでしょうに、お礼の挨拶に訪れるご婦人の礼儀正しさ。
私も見習いたいです。
ドラマのような出来事が本当に起こるのですね。
感動しました。

投稿: panda | 2006年8月12日 (土) 08:20

pandaさん、コメントありがとうございます。
夏になって鰻を食べるたびに、この時の事を思い出します。
あと、それ以来、芋ようかんも好きになりましたね。
それから数年経って知ったのですが、芋ようかんの船和は、浅草に本店があるらしいです。
名刺は警察に渡してしまったので、斉藤さんのお店がどこにあったのか分かりませんが、船和本店は雷門の近くにあるようなので、きっとその近くだったのでしょう。

投稿: ばーど | 2006年8月12日 (土) 21:06

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